40代、息しやすく生きていこう

アラフォーシングル。子供2人と猫1匹暮らし。シンプルに生きたくて日々思うことや、やってみてることなど。

「ナイルパーチの女子会」を観て〜友情編〜



ネトフリで観ました。



SNS編を書いていたのですが、

あと一枚画像を貼れば

投稿できるというところで

操作を誤り、ぜーんぶ消えてしまいまして



心折れたので、友情編から。




カバー画像がわりに

なんとなくイメージに合うイラストを




「ナイルパーチの女子会」に出てくる

女子2人は友達がいません。



キービジュアル、良き♡




それをコンプレックスにして

色々無理してみたり突っ走ったり

足掻いたりドロドロします。




私も友達はいません。

ひととき、仲良くなる人はいますが

長くは続きません。

それがコンプレックスでした。




でも、心の底では

私は女友達を本当に欲しいとは

思ってないこと、気づいていました。




そして根っからの長女気質なのか

甘えず、リードして立ち回るべき

知らない分からないなど恥は減らさねば

と言った、




訳の分からない

ねばねば戦隊べきべき星人に

なってしまうのです。




無自覚マウント女子だったと思います。




そこに気づいてから

ひぇ〜っっとなって、

同時に「ねば」やら「べき」やら

手放す練習もしていたので




今は多少は

良いんじゃないかなぁ…と

思っています。




ともさかりえちゃんが

お友達をとても大事にされているお話を

SNSでよく見かけていた時




私はとても何か欠けた人間なのかしらと

思いました。




羨ましかったです。

ご飯食べたり遊んだりお出かけしたり

語り合って泣いて笑って

励まし合って支え合って。


 


深い話が出来る友人は

その時々でいました。



推し仲間で、

これからもずっと友達だ

純粋に思っていた人がいましたが、



ふいに発せられた言葉が

私の感性を全否定された気がして



そうなるともう

私はそこから何も発言

出来なくなってしまいました。




感性が合わないのに

無理に私と友達でいる必要無いよね、

推しのキッカケは私だったかも

知らないけど、

きっともっと楽しめる友達ができるよ。


 


そう思って、それを伝えることすらせず

離れて

彼女は色んな方と推し活をして

忙しく楽しそうです。




私は、それをSNSで

たまに見かけているくらいで

丁度良い。

深入りする必要はない。


 


高校時代の友人と

20年ぶりくらいにSNSで繋がって、

時折コメントやり取りして、

彼女の幸せそうな姿を見て




私が福岡に戻ったら

ぜひ遊ぼうね!

そう言っている時間が

楽しくて良い。

本当にお茶できたらさらに嬉しい。




「友人はいるべき」

「親友がいないなんて恥ずかしい」

こんな思い込みに囚われていた。


 


まるで「結婚は素晴らしい」とか

「子供産んでなんぼ」みたいな

時代錯誤も甚だしい価値観のように。




気の合う友人は

出会う時は出会うだろうし



今の私が必要ないと思うなら

それで良いわけで

今はムスメやムスコ、親兄弟を

大切に楽しく暮らしたい。




あぁ、ホント他人軸な私がいたなと

改めて気付かされたドラマでした。



最後の方で出てくるセリフが共感で


 


何年も会ってなくても

根本的な悩みの解決相手とかじゃなくても

道でばったり会った時に

ちょこっと楽しくお喋りできたら

それで良いんじゃない?



みたいなコトでした。




私が求めるのはまさにそんな感じ。




どこかで深く繋がれる人も欲しいけど、

私が想っていられれば

良いのかも知れない。




依存や執着は手放して

軽やかに。