40代、息しやすく生きていこう

アラフォーシングル。子供2人と猫1匹暮らし。シンプルに生きたくて日々思うことや、やってみてることなど。

約四半世紀ぶりの再会を目指して


高校生の頃、私は

ヴィジュアル系バンドの虜でした。



LUNA SEA

L'Arc〜en〜Ciel

PENICILLIN

Dir en grey

La'cryma Christi



この辺りをこよなく愛し

音楽雑誌を読み耽り



インディーズのPierrotや

Janne Da Arcも大好きだったし



SIAM SHADEも大好きで、

数年後にギタリストのDAITAが、これまた大好きな

氷室京介のサポートメンバーになった時は

歓喜で叫びました。



(3歳の息子を連れて氷室のLIVEへ行き、

「だいたー!」と息子が叫んで

会場に笑いが起きた事も。)




中でも MALICE MIZERは

ファンクラブにも入り

それこそインディーズ版のCDも探し回り。

(今のように気軽なネットショッピングなんて

無かったですからね)




mana様が大好きで

GACKT脱退の時は本気で傷心し

ソロデビュー曲ランキングがいち早く流れる

Mステを、正座して祈りながら観ました。



ですが

私が最も愛したのはまたさらに

別のバンドでした。



ヴォーカルに心を奪われ

彼の表現するもの全てに衝撃を受けました。



大好きだけど、

ただ「好き」とはなんか少し違う。

尊敬でもあるし、憧れでもあるし

同化願望に近いものでした。



彼の発するものを

寸分の狂いもなく理解したい



そんな思いでいっぱいでした。



呑気な高校生で時間だけはあった私は

ひたすら手紙として書きました。



読まれるなんて思ってない。

心の内を吐き出して満足。




ところがある日、彼から返事が来ました。

学校帰り、郵便受けに彼からの封筒を

発見した瞬間のことは今も忘れられません。



便箋3枚にわたるお返事でした。



2週間後くらいだったか

2通目のお返事が来ました。

レコーディング中の山中湖にて

書いてくれたお手紙でした。



「僕はこんなノートの切れっ端にボールペンで

ごめんね」と書いてありましたが、

その前のページに書いた私宛の文章の

跡が移っていました。



我ながらストーカー気質のキモいヤツだなと思うけど、見えちゃったんだからしょうがない 笑



書き直してくれたのですね。

それだけの時間を私に割いてくれたのですね。



こんな幸せがあるだろうか。




その次は、大きな便箋3枚分のお返事で、

オススメの本の事や

「学校は楽しそうで良いね」などあり

最後にケータイの番号と

メールアドレスが書いてありました。



メールの方がやり取りが

早くて良いかなと思って と。



パニックで母に相談し、

翌日、母に連れられてdocomoへ

初のケータイを買いに行きました。



高校3年生の夏。

私のケータイデビューでした。

iモード とか

メールは100件までしか保存できない頃です。



詳しく書くとめちゃくちゃ粘着質に

なりかねないので省きますが、



ともかくその夏は

彼とたくさんのやり取りをし、

消せないメールだらけになり



夏の終わりにあったLIVEに合わせて

彼1人前乗りし、

私と会ってくれました。



当時私が18歳、彼が27歳でした。



「思いって伝わるんだ」と

私は自分の経験によって確信しました。



ですが、彼とは当然住む世界が違うこと

私がコドモなくせに、コドモなりに一生懸命に

なりすぎて重いヤツになっていたこと



彼にとって、満たされることは

創作上望んでいなくて、

むしろ恐れでもあるんじゃないか?



そんなあたりだと思うんですが、

その後、連絡は取れなくなってしまいました。




私はそれはそれは打ちひしがれ

自分の未熟さを悔やみ呪いました。



それを忘れるかのように

バイトに没頭し、

そこで出会った人と結婚し

子育てに明け暮れました。



彼は変わらず

音楽活動を続けているので

生存確認は常にできます。



本当に時々、

彼の音楽を思い出して

観たり聴いたり。




バンド曲は他のメンバーも皆

作詞作曲をするので、

もう知らない曲がほとんどになってしまったけど、



彼が作ったものはすぐにわかるし、

聴くと「ああ、やっぱり敵わない」と

思います。




私の1番根っこの部分は

彼の作ったもので出来ていると感じます。





約2年前の写真。

たまたまだけど、彼へのリスペクトに

繋がるような雰囲気に。






で、そんな彼がソロツアーを

今年の夏に行うそうで、

珍しく福岡にも来るのです。



(年齢的な事情か、バンドでツアーをやっても

九州には来なくなってしまった)



私も来月で42。彼は51。



「いつか」や「次」が当たり前に

あるとはとても言えない。



介護職をしていると、特に強く感じます。



生身の彼を目にするのは

人生で最後かも知れない。

そう思い、LIVE参戦を決意しました。




24年ぶり。

本当は本当は、人生の中でもう一度

彼とお話ししたい。



あの時「またね」と言ってさよなら

したのだから。



奇しくもそんな曲があるのです。

これに私以上に共感できる人間は

いないだろうと思う程です。




まぁ、それが叶うかはさておき

LIVEで一方的に眺めるくらいなら

現実的に叶えられそうです。



明日チケット発売。



1番後ろの端っこで

コッソリ観させてください。

お願いします。




今年の夏は

色々な事が大きく動く季節で

とても楽しみです。